「普通」ってなんだろう、と考えてみた。私、普通じゃなかった🤣

「普通」ってなんだろう、と考えてみた。私、普通じゃなかった🤣

「普通にしなさい」「みんなは普通にやってるよ?」

子供の頃から、何度も言われてきた言葉です。でも今になって思うのは——「普通」って、一体何だったんだろう? ということ。

義務教育は「普通」を教え込む場所だった

今になって振り返ると、義務教育とは普通・平均・周りとの協調性を教え込まれる場所だったと思います。

でもあの頃の私は、そんなふうに考えることすらありませんでした。とにかく「普通にしなきゃ」と思い続けていた。

普通に結婚して、普通に仕事して、普通に子供を育てて、普通の幸せを送る。

ある日、ふと思いました。「何これ?」 と。

誰に合わせていたのだろう。誰の目を気にしていたのだろう。自分は本当は何がしたかったのか——そう気づいた瞬間が、私の自分軸の始まりでした。

人と関わる仕事で、気づいてしまった矛盾

人と関わる仕事をしていた頃、少し違和感を覚えることがありました。

自分の物差しで人を見ると、全然違った感覚になってしまう。私が「普通」だと思っていた基準で相手を見ると、なんとも歪んだ世界に見えてしまうことがあったんです。

「あれ?この人普通じゃないな……」

そう思いかけた瞬間、ハッとしました。

え、でも"普通"ってなんだっけ?

人にはその人の人生があり、私には私の人生がある。一緒なわけないんです。みんな違って当たり前。そう気づいた時、同時にもう一つのことに気がつきました。

私が普通じゃない、って🤣

人と同じところが一つもありませんでした(笑)。

「普通じゃない」と気づいたら、清々しかった

普通じゃないと気づいてしまったとき、どう感じたか——。

戸惑いでも、諦めでもありませんでした。清々しい、に近い感覚でした。

なんとなく気が楽になって、そこから自由に生きられるようになった気がします。自分が「普通の枠の外にいる人間だ」とわかったら、無理に枠に入ろうとしなくていい。そのことに気づいただけで、こんなに楽になるんだと驚きました。

今は「普通」という言葉を使わなくなった

今の私は、「普通」という言葉をほとんど使いません。

なぜなら、誰にとっての普通かを前提にしないと、話が迷子になるからです。

私の普通は普通じゃない。あなたの普通も普通じゃない。だったら普通って何? という話になる。

そう考えるより、「自分はどうしたいのか」 を強く持つ方がよっぽど大切です。周りに合わせることは一つもなくて、自分がどうしたいか——それだけ。今の私はそう思っています。

普通に縛られていたら、今の私はなかった

もし「普通」という言葉にまだ縛られていたら、今頃どうなっていたでしょう。

きっとまだ会社員として、普通に働いていたと思います。何も楽しみを見出せず、ただ毎日会社のために働く。世間一般でいう「普通の毎日」を送っていたでしょう。

でも今は違います。

普通じゃないから🤣

自由に生きる選択をした日から、私は「普通」じゃなくなりました。そのおかげで、今は毎日がとっても楽しく輝いています。

自分の人生のステージに立つのは、自分だけ

自分の人生です。ステージに立っているのは私。

どう生きるかを常に考えて、普通じゃない人生も——捨てたもんじゃありませんよ!

「普通」という言葉に縛られているな、と感じている方がいたら、ぜひ一度立ち止まって考えてみてください。

それ、誰にとっての「普通」ですか?

まとめ

・義務教育は普通・平均・協調性を教え込む場所だったと今は思う
・「普通に結婚・仕事・子育て」——「何これ?」が自分軸の始まり
・自分の物差しを「普通」と思い込むと、世界が歪んで見える
・気づいたら「私が普通じゃない」人間だった🤣
・普通じゃないとわかったら、清々しくて気が楽になった
・今は「普通」より「自分はどうしたいか」だけを考える
・普通に縛られていたら今も会社員のまま。自由に生きる選択をしてよかった
・自分の人生のステージに立つのは自分だけ

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この記事を書いた人

青天ブログ管理人

シングルマザーとして3人の子供を育てながら、もうすぐ五十路。元会社員、現フリーランス。コロナで養育費が止まったことをきっかけにお金と向き合い、保険・固定費の見直しと投資で家計を大改善。「知っているか知らないかで人生は変わる」をモットーに、お金・投資・AIについて発信しています。

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